5月末に母がメキシコから日本に一時帰国し2週間、おのぼりさん状態の母を一人、日本の複雑な電車に乗せるわけに行かず、どこに行くにも付いて回り、やっとメキシコに無事帰ったと思ったら、今度はメキシコで留守番をしていた父が具合が悪くて入院するとのことで急遽メキシコに行くことになりました。メキシコの飛行場に着いたら、誰も迎えに来ないはずなのに、友達ご夫妻と母と兄の友人が待っていて、「え?まさか?」と思ったら、やはりそのまま葬儀場に連れて行かれました。
それから1ヶ月。メキシコでいろいろな諸雑務におわれ、やっと日本に帰ってきましたが、今だやっぱり残った諸雑務をしており、落ち着いてガラス彫ったり絵を描いたりする状態に戻るにはまだしばらくかかりそうです。なんだか知らないけど、日付はもう7/17なんですよね。
ここ数年メキシコに帰っていなかったけど、父にはいつも会いたいと思っていたのです。でもまさかこんなに急に行ってしまうなんて。インターネットでメールのやり取りができたので、それで安心しちゃってたのがかえっていけなかったのかな。多くの人がそうであるかと思うのですが、本当に後悔することで一杯です。私はメキシコが好きではなく、中学高校と5年間いただけでさっさと日本に帰って来てしまったのに、父が最近のメールで「メキシコに住まないか」と書いて来ていたのは、自分の寿命がそれほど残されていないことを感じていたのでしょうか。
父は38歳で脳腫瘍を患い、2度助からないと宣告されながら、「おれは死なない」となみなみはずれた精神力で生きながらえました。度重なる脳の大手術で身体が不自由になり、お医者様には50歳まで生きられないと言われながら、メキシコに移住し病後38年も生きたのです。亡くなったのは77歳と2ヶ月、日本の男性の平均年齢の76歳を超えました。メキシコのココヨックというところで、のんびりさわやかな気候のところで、しかし意欲に燃えて執筆活動をしていたのが良かったのだと思います。大好きなメキシコで亡くなったのは本望だったと思います。
メキシコでは沢山の方々が、父母のことを慕ってくださっており、沢山の方々に本当に親切にしていただきました。感謝の気持ちで一杯です。そして、お父さんはやっぱりすごい人だったんだね、と今更ながらに思います。お父さん、お疲れさまでした。天国では大好きな日本酒を沢山飲んでくださいね。
Subscribe to:
Posts (Atom)